鈴木聖子とは?(自己紹介)

鈴木 聖子(すずき せいこ)

1971年東京都墨田区生まれ。大阪大学大学院文学研究科音楽学研究室・准教授(任期付)

パリ社会科学高等研究院 EHESS – École des hautes études en sciences sociales(音楽学)とパリ・ディドロ(パリ第七)大学大学院(日本学)へ留学後、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程(文化資源学)単位取得退学、東京大学東京大学大学院人文社会系研究科附属次世代人文学開発センター特別研究員、パリ大学東アジア言語文化学部日本学科・助教、大阪大学大学院文学研究科音楽学コース・助教、アートメディア論コース・助教を経て、現職。博士(文学)。

専門「音と音楽芸能の文化資源学/文化人類学」:近現代日本の伝統的な音や伝統音楽・民俗芸能が文化的に有用な芸術資源としてどのように価値づけられていくか(あるいは差別されていくか)、という制度化・内面化の研究。

活動

近現代日本の伝統音楽・民俗芸能についての価値判断がいかに形成されたのか、制度化・内面化のプロセスを、歴史学・文化人類学・文化資源学の視座から研究しています。雅楽という「中央」の音楽研究を長きにわたって調査対象にしてきましたが、近年は<放浪芸>という「周縁」の音楽芸能について取り組んでいます。また、サウンドアートを日本の伝統的な音楽芸能から眺める試みをしており、サウンド・アーティストとイベントをしたり、伝統的な音楽芸能のサウンドスケープを考察したり、ユニヴァーサルデザインとしての音楽芸能の音声ガイドに取り組んだりしています。最近の論文では、かつて雅楽を生業としていた経験から、雅楽の興行的・放浪芸的な側面に着目して、オートエスノグラフィの境界線を臨みました。

音楽史的生い立ち(初めて聞いた音楽・初めて読んだ楽譜)

父はナルシソ・イエペスNarciso Yepesを崇拝しており、1960年代~1970年代にかけて、クラシックギターとウクレレのお店「ルナ楽器」(東京都墨田区)を経営していましたが、上手くいかなくなって、東京都港区青山に移転してからは琴のお店になりました(箏ではなく琴という漢字に啓蒙的なこだわりがあります)。初期の貧乏だったころ、父の工房で家族3人が琴と川の字になって寝ていた記憶があります。折しも民謡ブーム、合板の琴を大量生産して財を積むと、沢井忠夫に演奏を依頼して、ラテン音楽や映画音楽などを題材とした琴のLPレコードをプロデュースしました。ソプラノ琴を開発し、LPの五線譜の楽譜集も編集し、加えて1ドル360円の時代であったにも関わらず、琴楽団を引き連れて世界の日系移民街を訪れて、世界を回っていました。琴で弾くバッハ・ビートルズ・ムード音楽が、「私が生まれて初めて聞いた音楽」です。

母は宮城道雄師の高弟・古川太郎師の弟子で免許皆伝しましたが、父と結婚したことで特に伝統や古典の概念に苦しめられたということはなさそうです。むしろ、ポール・モーリアから喜多郎、リチャード・クレイダーマン、アンドレ・リュウまで柔らかな感性で愛しており、1940年代~1970年代のラジオとテレビで流れた歌謡曲はすべて歌えます。父と結婚するまでは丸の内の銀行員でしたが、帰りにうたごえ喫茶に寄るのを日課としていました。「私が生まれて初めて読んで歌った楽譜」は、私の弟の誕生で引っ越した世田谷の家にあった『青年歌集』(関鑑子編著)です。

以上、いわゆる「日本音楽史」には入らない両親の音楽活動のため、あちらこちらをさまよい歩いて、いま私はここにいます。

suzuki.seiko★let.osaka-u.ac.jp(星をアットマークに置き換えてください)

Webで読める日本語の論文:「沖縄音楽の録音採集における周縁性の諸相」『京都造形芸術大学紀要GENESIS』20号(2016、http://id.nii.ac.jp/1152/00000175/)、「言葉と歌と息のあいだにいのちを描く―小沢昭一『ドキュメント・日本の放浪芸』における声の文化―」『比較日本学教育研究部門研究年報』15号(2019、http://hdl.handle.net/10083/00063334)。