徳川夢声研究者・濱田研吾さんから書評を頂きました。「旅する研究者のおすそわけ」

旅する研究者のおすそわけ

鈴木聖子著『〈雅楽〉の誕生 田辺尚雄の見た大東亜の響き』(春秋社)  

 巷にこれだけ新刊本があふれる昨今、書物との偶然の出会いなど、そうはおとずれない。読み手にとって門外漢のテーマであれば、なおのこと。本書は、そんな出会いの喜びを感じさせてくれる。書物とは、かくも不思議なもの也。

 

 音階や雅楽になじみのない人には、冒頭からやや難解な記述がつづく。そのなかから、田辺尚雄という旅人が、少しずつ姿をあらわしてくる。たとえば、「粋」を手がかりに、舞踊と美容について語る若き「理学士」としての顔。面白い人かも……。その直感は、最後まで裏切られることがなかった。

 《一寸お客が見えると直きに主人は笙をとり、お客は琵琶をとり、細君は筝をとつて合奏が始まる、感に堪へ兼ねてお客は朗詠を唄ひ主人は之に和する…》という印象的な一文がある。田辺は、手をかえ、品をかえ、みずからの理想をかたちにしようと模索する。講義、講演、研究、執筆、コレクション、フィールドワーク、展覧会、アプローチはさまざま。音楽学者として、その先進的な姿勢に驚かされた。

 《「アクティブ・ラーニング」の走り》と筆者が評するレコードの活用は、とくに興味深い。1921年に出た『平安朝音楽』レコードには、田辺が思い描く、雅楽と「家庭音楽」の光景が投影されている。その夢ゆえに、『平安朝音楽』レコードには、涙ぐましい「神楽」録音秘話が残された。

 『平安朝音楽』レコードは、植民地下の朝鮮への音楽フィールドワークにおいて「古楽レコード」と名をかえ、旅の同伴者となっていく。この旅は田辺に、李王職の雅楽との出会いと、ある波紋を呼び寄せる。つづく台湾の旅では、地元民族の「即興の歌」と感動的な出会いをした。その旅に同行するような著者の語り口が心地いい。田辺の素顔が、迫ってくる。

 1940年代初頭、混沌とする世情、政情を背景に、セットもののレコード『東亜の音楽』『大東亜音楽集成』『南方の音楽』を出した。雅楽、日本音楽、東洋音楽、東亜音楽、大東亜音楽――。今日、「帝国主義」「植民地主義」と批判の矢面に立たされる田辺の言説を、著者はある共感をもって受けとめようとする。

 本書刊行後に立ち上げたホームページでは、《当時の田辺の旅の情熱をいっしょに追体験していただくのがよいのでは》と投げかける。戦時下の文化・芸能人の仕事と向き合ううえで、示唆に富む言葉だ。

 漫談家・俳優・作家として、当時著名な立場にいた徳川夢声は、軍の慰問で、南方をはじめ、あちこちを旅した。戦意高揚を謳い、国策に協力的だったことは否めない。その旅のさなか、日記を、俳句を、メモを、膨大に残し、『夢声戦争日記』(中央公論社、1960年)として刊行された。その、書かずにはいられなかった心情を読みとき、追体験することは果たして、研究であろうか。ミーハーなファン心理であろうか。その両方であることを、この本は教えてくれる。

 夢声を語りの師として仰いだ小沢昭一は、夢声生誕の地、島根県益田市を旅した。その思い出を、ラジオ『小沢昭一の小沢昭一的こころ』で語っている(※)。漫談風にアレンジした旅ばなしは、夢声話術の系譜に連なるものだった。小沢は、ライフワークであるラジオのひとり語りを通して、師への敬慕の念と話芸の研究を両立させ、結実させている。

 著者の次なるテーマは、その小沢昭一ときく。それが必然の出会いであることは、本書を読めばきっと気づく。本書の「はじめに」をしめくくる、《では、田辺とともに、「雅楽」の時空の旅へと出発しよう。》という一文。田辺尚雄を旅して、次なる旅へとつながっていく。“旅する研究者”はこれからも、素敵な出会いと発見をし、その“おすそわけ”をしてくれるはずだ。(おわり)

※『小沢昭一の小沢昭一的こころ』2002年5月6日~10日放送「なぜ行くの 島根県は益田旅」

 

著者紹介

濱田研吾(はまだ・けんご)さん(通称はまちゃん)

1974年、大阪府生まれ。京都造形芸術大学芸術学科芸術学コース卒業。都内の編集プロダクションで、単行本や社史の編集を手がけ、現在はライターとして、大手生活協同組合の各種媒体に執筆。その傍ら、日本映画・放送史、広告文化史などの執筆を続ける。著書に『徳川夢声と出会った』(晶文社)、『三國一朗の世界 あるマルチ放送タレントの昭和史』(清流出版)、『鉄道公安官と呼ばれた男たち』(交通新聞社新書)、『脇役本 増補文庫版』(ちくま文庫)など。編著『夢声戦中日記』(中公文庫)をはじめ、徳川夢声の復刊本の編集や解説を手がける。